大森貞男 月だより

十月は「神無月(かんなつき)」日本中の神様が出雲に行ってしまう月と言う意味
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 旧暦10月の別名「神無月」は、全国の神々が年に一度、大國(おおくに)主(ぬし)大神(おおかみ)が鎮(しず)まる出雲大社に集まって会議「神議」を行ったと言い伝えに由来するもの。神様が集う出雲では逆に「神在(かみあり)月(つき)」と呼ばれ、出雲大社では人々の幸せの縁を結ぶ一連の神事「神在(かみあり)祭(さい)」が行われます。

 

紅葉狩り(もみじがり)
 赤や黄色に色ずく紅葉を眺めに、山野や渓谷(けいこく)へ散策に出かける紅葉狩りは、晩秋の風物詩です。
 楓(かえで)や銀杏(いちょう)をはじめ、桜紅葉や櫨(はぜ)紅葉など、さまざまな木々が染まるさまは、古来、人の心を魅了してきました。およそ十月~十二月上旬にかけて、北から南へと紅葉の季節がおとずれます。
 楓(もみじ)蔦(つた)黄(き)なり 七十二候の五十四番目、秋の最後が、霧降末候の楓蔦黄なりという季節です。楓や蔦が色ずく頃という意味で、時期はおおよそ十一月二日~六日です。

 

くんち
 九州を中心に、くんち「または、おくんち」と呼ばれる秋の収穫祭があります。神社から神輿(みこし)を担ぎ、大名行列や、子供たちの、稚児行列,山車、お囃子(おはやし)、踊り手、獅子舞(ししまい)などが登場。名前の由来は、旧暦九月九日に行われたことから九日とも、供え物の共日とも、お宮まいりの宮日とも、竜踊りの長崎くんち、巨大なな漆(うるし)の獅子頭(ししがしら)や兜(かぶと)の曳(ひき)山(やま)でにぎわう唐津くんち、牛車にひかれた神興行列の博多おくんちなど。

 

 

九月は「長月」夜が日増しに長くなる「夜長月」の略
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風祭

 

時に台風や強風に襲われる田畑の農作物風害から守るために、風を鎮める祈りを込めて風祭が、各地で行われます。強風の時期は土地ごとに異なるんで、祭りの日もさまざまですがお盆から冬に多いようです。特に、立春から数えて二百十日の九月一日頃は、強風の吹く厄日とされており、この時期に風祭が行われる地域も見られます。例えば新潟地方では、甘酒を作り、赤飯を()くならわしも。

  

十五夜の月見

旧暦八月十五日に月を愛でる十五夜の月見のならわしは、(から)の時代に中国から伝わってきた月見の祭事と、古来日本にあった月を(まつ)る週間があわさったものだそう。古代には、欠けない満月を豊穣(ほうじょう)の象徴と見なしたという説もあるようです。秋の実りに祈りを捧げる行事ですが、風流を楽しむイベントでもあり、平安時代には貴族たちが船遊びをして水面に映る月を(なが)めたり、(はい)に月を映したりして楽しみました。町民に広まったのは、江戸時代の頃のことだとか。 

八月は「葉月」秋になり木の葉が落葉すると月という
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お盆とは

 

お盆は旧歴七月十五日を中心に行われてきた、祖先の霊をお迎えして、もてなし、お送りする行事です。「日本書記」によると、古くは推古天皇十四年「606年」に四月八日、七月七月十五日(せつ)(さい)す。とありその頃にはお盆の習わしがあつたようです。またお盆は、 (うら)盆会(ぼんかい)という仏教行事であるとともに、仏教の渡米以前から日本では行われていたようであろう祖先の霊を(まつ)るならわしの名残りでもあり、両者が合わさったものといわれています。

 

  

迎え火

地方よって異なりが、十三日の夕方、縁側の軒先や精霊棚に吊るした盆提灯に灯を灯した後、家の門口や玄関で迎え火を焚きます。焙烙(ほうろく)という素焼きの土器の上に、()(がら)を重ねて燃やします。その火に合掌し、祖先をお迎えするのが迎え火です。

七月は 「文月」恋人たちが文をかわす七夕にちなんで
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七夕は「しもせき」と読み、七月七日の夕方という意味です。かっては旧暦で行われた行事で、入梅が明けた夏の宵、天の川を眺めました。年に一度、織姫と彦星が出会える星合の伝説は、もともと中国の民話だそう。織姫は絹を織り、彦星は牛を飼いますが、それらは古代中国の大事な産業でした。星合の伝説には、仕事を怠るなという(いまし)めの意味がこめられてます。七夕飾りに梶の葉が用いられのは、古代から梶が神に捧げる聖なる植物とされたゆえです。また梶の葉には産毛が生えていて、墨で文字を書く事ができます。七夕の朝には、里芋の葉に降りた露で墨をすり、七枚の梶の葉に歌をしたため、字の上達を願うと言う習慣がありました。これは古代中国の七夕行事、乞巧奠(きこうでん)が枝芸の上達を祈る祭りであることに由来します。七夕の夕べには、真菰(まこも)で編んだござを敷き、初夏の収穫を供え、七個の池「水を張った七つの盥」を飾って水面に映る星を見ました。そして五行にちなんだ五色の麻苧(あさお)を吊るし、神さまの依り代として七五三でつないだ竹を立てるのが、宮廷での七夕のならわしだったよう。古くは七月六日の夜から七日の早朝にかけて行われる神事でした。古い日本の習俗では、七月七日の七夕とは、続く七月十五日に向かえるお盆の準備する日だったようです。七夕は棚幡とも書き、その棚とは、お盆に祖先の霊お招きする風習も、元を辿れば、心身のけがれを水で浄める、(みそぎ)の儀式に由来するとか、七夕はお盆とひとつながりの行事であり、お盆のための神事という意味ありました。

 

~6月は「水無月」夏の暑い日差しの中 水も干し上がる月と言う意味~
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更衣(こうい)

 

衣替えといえば、いまでは6月1日と10月1日「沖縄などでは5月1日と11月1日」に行われるおなじみの習慣ですが、その歴史は古く平安時代頃まで(さかのぼ)ります。古代中国の慣例にならって、宮廷では旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を切り替えていました。その頃は衣替(ころもが)えを、更衣(こうい)と呼んで、天皇の衣替えを担当する女官の役職も更衣といったそう。

 

  

江戸の更衣は年4回

 

時代が下がり、江戸時代の武家社会では更衣年4回することと定められました。まず旧暦4月1日に、それまで着ていた綿入「表と裏地の間に綿を入れた着物」から、綿貫(わたぬき)といって、着物に裏地を付けた(あわせ)へ衣替えします。次に5月5日から8月晦日(みそか)まで、裏地のない麻の帷子(かたびら)に着替えます。そして9月1日から8日まではまた袷を着て、最後は9月9日に綿入れに着替え、翌年4月の衣替えの前日にあたる3月晦日までの冬の間を過ごしたそうです。

 

~五月は皐月です~ 「サ」は「田」を表す言葉であることから、田植え月の意味
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「サ」は「田」を表す言葉であることから、田植え月の意味
 五月五日は端午の節句。男の子の成長を願う日とされています。鯉(こい)のぼりを上げ、柏餅(かしわもち)や粽(ちまき)をいただき、菖蒲(しょうぶ)湯(ゆ)につかります。時代をさかのぼると、奈良時代や平安時代には、あおあおとした新緑の候に薬をとりに野に出かけ、その薬効で邪気を祓(はら)う節目の日だったそう。
 すれが後に、菖蒲(しょうぶ)と尚武(しょうぶ)の語呂合わせなどから、武家が重んじる行事になりました。
 もともと端午の節句は、五月初めの午(うま)の日に行われていましたが、午と五の音が通じることから五月五日になったよう。また五が重なって、重五の節句とも。

真の薬玉「長命縷(ちょうめいる)」
 丸い絹の包みの中にさまざまな香気を持つ薬草などを詰めて、菖蒲やよもぎをあしらい、五色の糸とを垂らした五月飾りが、真の薬玉です「さらに古くは菖蒲やよもぎを五色の糸で結わえ、長く垂らしたもの」天皇の御所のほか、宮廷貴族たちが家の柱に掛けるなどして、邪気をはらったといいますが。長命纝とも呼ばれ、厄除けをして長寿を祈願する意味合いがあったそう。もとは中国から来たならわしです。

 

~四月は卯月です~ 初夏の花、卯の花が咲く季節であることから
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お花まつり

 

四月八日は、お釈迦さまの誕生日を祝う灌仏(かんぶつ)()、通称お花まつりの日です。春の花々で飾った花御堂に、甘茶を満たした浴仏(よくほとけ)(ぼん)を据え、その中央に誕生仏を祀り(まつり)ます。

 

その誕生仏へ柄杓(ひしゃく)で甘茶を注いでお祝いするならわしがあるのですが、それわ、お釈迦さまが生まれたとき、誕生を祝って九匹の龍が天上から甘露の雨を降り注がせたという言い伝えに由来するそうっては旧暦四月八日の行事でしたが、いまは新暦の四月八日や、五月八日に。

 

 

中国の陰陽五行では、春は(もく)の気の季節。立春から八十八日を数えたこの日は、春の木の気すべてを受けとめて育つた新茶を摘みます。木の気に満ちた新茶を頂くと、長寿とも無病息災とも。

三月は「弥生」月です 春らしく木や草がいよいよ生い茂る月
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桃の節句 上巳(じょうし)の節句

 

三月三日の桃の節句は、お雛さまを飾り、女の子の健やかな成長を願う行事です。古代中国の上巳の節句が旧暦三月の最初の巳の日に行われていたのが、後に三月三日となり、

 

日本に渡って来ました。古くは心身を祓い清める行事で有り、巳の日のお祓といって、人形を川や海に流す習わしありました。ヘビは脱皮することから、再生する命。強い生命力の象徴とされています。

 

 

飾り雛のはじまり

 

いまのように雛壇に鎮座する飾り雛は、江戸時代、徳川家康の婿娘で、後水尾天皇の中宮「妻」となった東福門院(とうふくもんいん)和子(かずこ)が、娘の興子のために作らせたのがはじまりだそう。

 

衣類や小物など、細部に至るまで有職(ゆうしょく)故実(こじつ)「宮廷のしきたり」に基ずき、天皇の婚礼を模した雛人形は、豪華さの極み。たとえば天皇だけが着る事の出来る服の色に黄櫨(こうろ)(ぜん)という明るい黄土色がありますが。お内裏さまの衣服も黄櫨善染で忠実に染められています。

 

雛祭りが広がるにつれ、各地の大名が雛人形を求め、裕福な町民も加わり、見事な雛人形を見せ合う雛合せなどの遊びが生まれました。

 

二月は「如月(きさらぎ)」まだ寒さが残るころ、衣をさらに着る月、という意味
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恵方巻き

 

節分の日に、その年の恵方を向いて一本丸ごと食べると縁起がいいとされる太巻きを、恵方巻きといいます。大阪を中心にした行事。食べ終わるまで黙っているとも、目を閉じて願い事を思い浮かべながら食べるともいわれ、作法はさまざまです。七福神にちなんで七つの具を入れますが、特に具材は決まっておらず、かんぴょうやきゅうり、伊達巻、(うなぎ)などが代表的なもののよう。

 

  

昔は年に四日あった節分

 

本来、節分とは、春夏秋冬それぞれの季節のはじまる日の前日をいいます。二十四節気でいう立春(りっしゅん)立夏(りっか)立秋(りっしゅう)立冬(りっとう)の前日が節分で、一年に四日もありました。その中でも立春は春のはじまりであり、またかっては立春正月といって立春を正月としていたので、春の節分は大晦日にあたる大切な日とされてきました。その後、春の節分は雑節の一つとされ、他の季節の節分の行事がすたれてしまったいまでも伝統行事がお行なわれています。

 

一月は「睦月(むつき)」新年人々が集まって睦び合う月、という意味
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初日の出

 

元旦の日の出は最初の夜明けであり。おめでたいとされ、初日の出参りが明治の頃から盛んになったそうです。

 

元旦の朝に天皇行う四方拝(しほうはい)が、やがて民間に広まり、初日の出を拝む習慣が生まれたとも。本来、元旦とは初日の出のことで、それが転じて元日の朝を元旦というようになりました。「旦」の字は、朝雲から「あるいは地平線から」日が昇るさまを表します。

 

  

 

四方拝(しほうはい)

 

初日の出参りの起源といわれる四方拝は、平安時代に始まった天皇の儀式で、一時は貴族や庶民にも広まったそう、元旦の早朝に北辰「北極星」や天地四方、山稜(さんりょう)などを拝み、年の災いを祓い、人々の幸せや健康、豊作や天下泰平を祈ります。その儀式の中で、さまざまな災厄(さいやく)にたいして、「過度我身」(私の身を通って浄められますように)と祈りの呪分を唱えたとか。

 

      2019-2020年度

国際ロータリーのテーマ

   会長  吉光寺政雄

        次回例会

 2019年10月 9日(水)

  場所:割烹 石山

  編 集 :  広報委員会

  委員長  植竹一裕        副委員長 村山 茂

  委員     稲垣政一